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19件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1975-06-10 第75回国会 参議院 文教委員会 第13号

ただ、たとえば、御存じの伊場遺跡の場合のように、学会としての要望、あるいは保存団体としての要望ですね。これはぜひ、伊場遺跡の場合は県の指定史跡を解除するどころか国の指定史跡にして積極的に守っていただきたいと、こういうのが大多数の要望であるわけです。これは実際に学会単位にいっても、全部一斉にそういう要望を出したわけです。しかし、その点、やっぱり最後まで文化庁との間に評価が食い違った。

甘粕健

1975-06-10 第75回国会 参議院 文教委員会 第13号

その点で先ほども問題になりましたような不時発見の場合でございますけれども埋蔵文化財不時発見に当たって六カ月の停止命令の期間の制限がある、こういう問題でございますけれども、この点について、先ほど甘粕参考人から、たとえば姫方遺跡だとか、あるいは池上、また伊場遺跡等々の実例が出されまして、六カ月ではとうていできないんだと、こういうふうな御説明があったと思いますけれども文化庁の方の御説明によりますと、

加藤進

1975-06-10 第75回国会 参議院 文教委員会 第13号

たとえば、伊場遺跡の問題なんかにいたしましても、やはり大溝の流れを見てまいりまして、どの程度まで本当にあるのかという点も多分に問題があるわけでございまして、そういう点、非常に確認しにくいということもあるのではないかという感じがいたします。

宗知信

1975-03-04 第75回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第3号

それからもう一つは、あわせて私も過去十何年か顧みまして、さっき伊場遺跡お話も出ましたけれども、これは本来は完全に残したかった、あるいはもっと徹底した調査を行いたかった、あるいはもうちょっと調査技術が進むまでそっとしておいて、それから調査すればよかった、こういうようなことで、現在は残念ながら破壊ないしは散逸をしたと思われる最近の幾つかの事例があれば、これは御記憶にある主なものだけで結構ですから、場合

長谷川正三

1975-03-04 第75回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第3号

江上参考人 もう一つは、何と言っても私たちが一番関心があるのは伊場遺跡でございます。これはまだ全体的にどういうふうな依頼をする運命が決まるかということは私たちもよくわからないのでありまして、現に訴訟の問題になっておりますが、訴訟の問題になって一番大きな問題は、まだ国民あるいは文化財に対する権利を持っているということがはっきりしてない。

江上波夫

1975-03-04 第75回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第3号

事実、私も静岡県の出身でもございまして伊場遺跡の問題をめぐる事情などもいろいろ知っておりますけれども、実際には事前協議のようなことがやられながらああいう事態が起きておりますので、そういうような御意見が出てくるのだろうと思いますが、許可制にすべきだとおっしゃいます具体的な裏づけ、そのようなものを幾つかの例を挙げて御説明いただけたらと思いますと同時に、事前協議制が不適当であるということも、これは江上先生

栗田翠

1973-12-20 第72回国会 参議院 文教委員会 第2号

松永忠二君 私、絵馬のことについて価値をどうこうというのでなしに、大体この「伊場遺跡郡衙跡にしては建物跡規模が小さ過ぎると思っていたが、出土した木簡駅家説が一段と強まり、昔の東海道伊場遺跡付近を通っていたのは確かなので推測に無理はない。今度の発見駅制を知る上で非常に貴重だということは別に間違いないことはないわけですね。

松永忠二

1973-12-20 第72回国会 参議院 文教委員会 第2号

それから地方の出土例といたしましては、この伊場遺跡が最も多いということは事実でございます。いまの官衙とかそういうもの、何といいますか、宮址等を除きましては一番多い。ただ、これは若干の注釈をつけますと、木簡が出た場合におきまして、この伊場遺跡ほど発掘調査が行なわれたというのは初めてでございます。

安達健二

1973-09-26 第71回国会 参議院 文教委員会 第30号

 七四号)(第二一一五号)(第二一八三号)  (第二三四五号)(第二五六七号)(第二八〇  八号)(第二九二二号)(第三〇二三号) ○公立義務教育学校学級編制及び教職員定数  の標準に関する法律早期改正に関する請願  (第二一八二号) ○「国立学校設置法等の一部を改正する法律案」  の廃案に関する請願(第二五二四号) ○筑波新大学の開学促進に関する請願(第二六二  五号) ○静岡浜松市の伊場遺跡保存

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1973-07-20 第71回国会 衆議院 文教委員会 第33号

瀬野栄次郎紹介)(第九三三一号)  同(山田太郎紹介)(第九三三二号)  同外一件(木島喜兵衞紹介)(第九六四四  号)  同(栗田翠紹介)(第九六四五号)  同外三件(山原健二郎紹介)(第九六四六  号)  同(近江巳記夫紹介)(第九九二三号)  同(坂井弘一紹介)(第九九二四号)  同(野間友一紹介)(第九九二五号)  同(矢野絢也君紹介)(第九九二六号)  東海道本線高架事業用地として伊場遺跡

会議録情報

1973-07-18 第71回国会 衆議院 文教委員会 第32号

計官      加藤 隆司君         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ――――――――――――― 委員の異動 七月十七日  辞任         補欠選任   深谷 隆司君     粕谷  茂君 同日  辞任         補欠選任   粕谷  茂君     深谷 隆司君     ――――――――――――― 七月十四日  東海道本線高架事業用地として伊場遺跡

会議録情報

1973-06-20 第71回国会 衆議院 文教委員会 第23号

安里積千代君     受田 新吉君 同日  辞任         補欠選任   渡辺 紘三君     高見 三郎君   受田 新吉君     安里積千代君     ————————————— 六月十六日  図書館法の一部を改正する法律案内田善利君  外一名提出参法第一四号)(予) 同月十八日  学校給食法の一部を改正する法律案内田善利  君外一名提出参法第一五号)(予) 同日  浜松市の伊場遺跡保存

会議録情報

1973-06-15 第71回国会 衆議院 文教委員会 第22号

栗田翠紹介)(第六九六二  号)  同(川俣健二郎紹介第七〇三七号)  同(佐々木更三君紹介)(第七〇三八号)  同(瀬野栄次郎紹介)(第七〇三九号)  同(高橋繁紹介)(第七〇四〇号)  同(江田三郎紹介)(第七一二七号)  同(久保三郎紹介)(第七一二八号)  同(阪上安太郎紹介)(第七一二九号)  同(土井たか子紹介)(第七一三〇号)  同(堀昌雄紹介)(第七一三一号)  浜松市の伊場遺跡保存

会議録情報

1973-06-13 第71回国会 衆議院 文教委員会 第21号

人材確保に関する特別措置法  案撤回に関する請願兒玉末男紹介)(第六  七九五号)  同(清水徳松紹介)(第六七九六号)  同外六件(下平正一紹介)(第六七九七号)  同外一件(有島重武君紹介)(第六八八七号)  同(木島喜兵衞紹介)(第六八八八号)  同外四件(下平正一紹介)(第六八八九号)  東京大学宇宙航空研究所定員増加に関する請  願(庄司幸助紹介)(第六八七三号)  浜松市の伊場遺跡保存

会議録情報

1973-03-09 第71回国会 衆議院 予算委員会 第20号

さらに、埋蔵文化財について、最近の急速なる土地造成等により、佐賀県姫方遺跡及び静岡伊場遺跡などについて保存問題が生じており、これが解決のため、政府当局に対し一そうの努力が要請され、あわせて、文化財保護法改正必要性が述べられました。  かくて、昨日質疑を終了し、分科会の討論、採決は本委員会に譲ることに決定した次第であります。  以上、御報告申し上げます。(拍手)

黒金泰美

1973-03-07 第71回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第4号

ところで、高架化も進めて伊場遺跡も守るというためには、他の場所電留線を敷くところをさがす努力をすることが何よりもまず必要だったと思いますけれども、そういう努力をしてこられたかどうかということに関連しまして、最初国鉄に伺いますけれども文化庁がどうしてもここでなければ電留線は敷けないかという問い合わせ国鉄にされましたのは、いつごろだったのでしょう。

栗田翠

1973-03-07 第71回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第4号

こんなにも前からこのことが問題になっておりまして、しかも伊場遺跡重要性というものが調査を進めるごとに高くなってきておりましたのに、文化庁はことしの一月になって初めてそのような問い合わせをされたのは、たとえいろいろな関係があるとはいいましても、たいへん怠慢であると私は思います。

栗田翠

1972-05-24 第68回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第7号

「もはや浜松に於ける遺跡であることにとどまらず、日本屈指遺跡となり」「今後「伊場遺跡を除いて日本古代史を論ずることはできない」と言われる程になった」、郡衙址であると同時に、駅家がそこに併設をされているのではなかろうかというような考え方が出ておるわけであります。  

松永忠二

1972-05-24 第68回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第7号

当時としてはそういうことを、問題点として指摘をされたかもしれぬけれども、いまの段階で、「伊場遺跡破壊もやむを得ないが」というようなことばを使えるですか。そんなたわいないことを言って、そんなことは、もう率直に、こういうような時期もあったけれども段階ではこういう時期でないということを言えばいいじゃないですか。そんなたわいなことを言わないで、問題点としても妥当じゃないでしょう、このことばは。

松永忠二

1972-05-24 第68回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第7号

それじゃ次へ移りますが、次は伊場遺跡の問題であります。  これは広い意味でいえば、歴史的環境保全という問題であります。そしてそれが実は鉄道高架に伴って、伊場遺跡に機関区、電車区を設置するということによって埋蔵文化財破壊をされようとしているという、こういう問題であります。

松永忠二

1972-04-27 第68回国会 参議院 予算委員会 第19号

○国務大臣(高見三郎君) この伊場遺跡は、昭和四十三年に静岡県指定史跡になったのであります。確かに、お話のように、市は非常な金をかけていることを承知いたしております。同時にまた、西側のほうの遺跡弥生後期のもののようであります。ただ、東側が奈良朝時代郡衙——郡役所のあとで、これは非常に貴重な全国で珍らしいものでありまして、何とかしてこの遺跡は残したいものだと私どもは考えております。

高見三郎

1972-04-27 第68回国会 参議院 予算委員会 第19号

松永忠二君 その一つの例としてお話のあった静岡県の浜松市の伊場遺跡この調査の人は、もはや浜松における遺跡であることにとどまらず、日本屈指遺跡となり、全国伊場遺跡としてその名を高め、今後伊場遺跡を除いて日本古代史を論ずることはできないと、こういうふうに言っているわけであります。この伊場遺跡にいわゆる鉄道高架に伴って、ここに電車区をつくろうというようなことが国鉄で考えられている。

松永忠二

1972-03-21 第68回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

○斉藤(正)分科員 最初文化庁に伺いますが、いわゆる文化財白書なるものを文化庁が出しておられると思いますけれども、「文化財保護の現状と問題点」なる白書に、静岡浜松市の伊場遺跡について論評されていると思いますが、最も新しい白書の中で静岡浜松伊場遺跡についてどういうふうに書いておられるか、ちょっと読んでいただきたいと思います。

斉藤正男

1972-03-18 第68回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第1号

○吉兼政府委員 お尋ねの都市計画法との関係でございますが、先刻お答え申し上げましたように、高架化事業事業区域は、指定されました伊場遺跡にはかかっておりません。したがいまして、この高架化事業事業認可は、いま先生指摘のような文化財関係との調整を必要としないというように私どもは理解いたしております。

吉兼三郎

1971-03-25 第65回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第3号

したがいまして、私どもはそういう問題が起きましたときには、まず科学的な調査をやるということを常に申し上げておるわけでございまして、したがいまして、いま御指摘になりました持田台地でございますが、この点につきましても私のほうは直ちに調査に行っておるわけでありまするし、また伊場遺跡につきましても、われわれはあくまでも学問的な調査に基づいてやるべきであるということで、現在坂本太郎博士学術経験者の長といたしまして

安達健二

1971-03-25 第65回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第3号

一つの例をあげれば、静岡県の浜松伊場遺跡の問題、これは市そのもの県指定伊場遺跡指定からはずして破壊するという方向に進んでおる。それからもう一つは、前から問題になりました県の段階ですと、岡山県の津島遺跡の場合には、県が率先してこれを破壊するほうに回ってそして問題を起こした。

小林武

1971-03-25 第65回国会 参議院 予算委員会第四分科会 第3号

伊場遺跡の場合はどうですか。文部省の白書の中に、伊場遺跡をこわしてもいいようなことを書いたではありませんか。それだから市の教育委員会は、特に市長は、このときとばかり、なるべく指定をなくしようというような態度をとった。それから逗子の場合はどうであったかというと、教育委員会はたいした史的価値がない、学問上の価値がないというような判定を下して、そうして破壊のほうにどんどん進んでいった。

小林武

1971-02-17 第65回国会 衆議院 運輸委員会 第5号

その移転先に、実は伊場遺跡なるものがございまして、この伊場遺跡調査が進んでおるわけであります。第一回は昭和二十四年から昭和二十五年にかけて、第二回は昭和四十三年に、第三回は昭和四十四年十二月から昭和四十五年十二月までということで調査が行なわれました。その過程におきまして、昭和二十九年三月二十二日に県の遺跡指定をされておるわけであります。

斉藤正男

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